馬車道は関内大通りの一本、西側に位置する全長800mほどの一方通行の狭い通りである。今でこそ、関内大通りに幹線道路の座を譲っているが、馬車道の歴史は古く、横浜大火の翌年の慶応3年(1867)、吉田橋から本町まで馬車を通す港に向かう道として整備された由緒ある通りである。吉田橋が架けられていた派大岡川はその後、1971年に廃川になり、その跡に半地下構造の首都高速横羽線が開通した。現在の馬車道は、伊勢佐木町商店街の入口前を横切る横羽線の掘割に渡された吉田橋を起点として、神奈川県立歴史博物館(旧横浜正銀行本店本館)、東京芸術大学大学院キャンパス(旧安田銀行・富士銀行横浜支店)がある本町四丁目交差点まで延びる。神奈川県立歴史博物館の向かい側の縁石に沿って、「牛馬飲水」と書かれた飲水槽が残されており、往時を偲ばせる。
馬車道は、みなとみらい線「馬車道」の駅名の由来となった通りである。ちなみに、馬車道という地名はない。みなとみらい線は栄本町線の下を走り、馬車道駅の西端と馬車道の終点は本町四丁目交差点でほぼ直角をなす。馬車道駅は馬車道の下にはない。
馬車道は近代日本発祥のメッカである。アイスクリーム、写真館、ガス灯、近代街路樹など、さまざまな「日本初」が並ぶ。現在の沿道には150店ほどの飲食店が軒を連ね、平日はもっぱらこの界隈で働いている人たちで賑わう。どういうわけか薬局も多い。ときおり、赤レンガ倉庫方面から流れてくるのか、観光客らしき人や外国人が往来しているが、馬車道は鎌倉の小町通りのような観光客目当ての商店街ではなく、土産物屋や甘味処、食べ歩き用のクレープや煎餅など売る店はない。映えするのか、ときおり、神奈川県立歴史博物館付近で結婚式場の宣伝用にウェディングドレスの女性とタキシードの男性のモデルを撮影している現場に遭遇する。